地域での取り組み

河内木綿の歴史、八尾市のプロジェクト

江戸時代から明治時代にかけて、河内地方で広く栽培されていた綿を総称して「河内木綿」と言います。

河内地方は、北河内・中河内・南河内の地域に分かれ、中央部に位置する八尾市周辺は、古来最も開けた地域でした。

宝永年間、たびたび氾濫を起こしていた大和川を付け替え(川の流れを変え)、以後、旧川床を綿栽培の畑として利用し、現在の大阪柏原市・八尾市・東大阪市が木綿織物の一大産地となりました。

機械化による安価な紡績糸や化学染料などが出回り始めると、次第に河内木綿は姿を消していきました。 ですが近年、NPO法人河内木綿藍染保存会が中心となって、河内木綿を愛する多くの人々の手により、技術が復元・継承されています。

その一環として、八尾と東大阪のボランティアが協同し、大阪府アダプト・ロード・プログラムに参加した、綿栽培『八尾コットンロード』プロジェクトが立ち上がりました。 完成すれば、大阪中央環状線高架下、東大阪~八尾間に『コットンロード』が出来ます。

『藍染め河内木綿』復興の日も、そう遠くはないかもしれません。

村西徳子様と河内木綿藍染保存会様のご紹介

河内木綿藍染保存会は府知事の認可をえて、NPOの創立が2001年2月申請書を提出し認可を受けたのが5月でした。
現在正会員、賛助会員を合わせ90余名が参画し、会員居住地は八尾市を中心とした大阪府域にまたがっています。

河内木綿文様復元の契機は、今から35年前、現理事長の村西徳子氏が河内木綿の研究家・収集家である故辻合喜代太郎博士(八尾市恩智在住)に師事し、文様のデザインの勉強をはじめたことに始まります。
河内木綿の大ぶりで勇壮な文様に魅せられた村西徳子氏は、 染色デザインの同好の人々とともに、辻合先生の指導を受け、型彫り、糊置き、藍染と古い資料を参考に河内木綿復元活動に取り組みました。
また、阿波徳島のタデ科の藍から作った「すくも」を購入し、昔の紺屋と同様の手法で灰汁(あく)建てしたもので白布を染め上げる作業をはじめるなど、思考錯誤の過程を経て河内木綿の復元製作活動を積み上げました。

平成6年、村西徳子氏は八尾市生涯学習センターの委託により 藍染後継者育成のための河内木綿藍染講座を開講し3年間で約40名の受講生を育成したのをはじめ、 その後自らの工房において多くの後継者を育ててこられました。

1991年 型絵藍染研究所開設・教室主宰
1994年 「河内型絵 河内木綿と藍染」出版
2001年 八尾市姉妹都市 米国・ベルビュー市において河内木綿文様展示会
2003年 ロシア国立エルミタージュ美術館で「河内木綿展」
(会期2カ月間)
2009年 「河内木綿 文様と藍染の美」出版

(NPO法人 河内木綿藍染保存会 ホームページより抜粋)

やおもくでの綿栽培風景

河内木綿懸垂幕

河内木綿藍染保存会様との交流のなかから生まれた、こちらの作品。プレミアムベッド館に河内木綿の懸垂幕を設置いただきました。

こちらの文様は宝尽くしと言うそうです。
とても御利益がありそうな、立派な懸垂幕ですね。

これからも地域に根ざした企業として、木綿栽培など微力ながら少しでも地域に貢献できればと思います。

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